はじめに

僕は日東駒専と言われる大学の出身です。大学を卒業し、就職して28年が経過したアラフィフおやじです。


 長女はFランク大学といわれる大学に楽しく通っています。授業やゼミも楽しそうです。学園祭実行委員に入り、友人をたくさん作り、台湾にボランティア活動に行ったり、アメリカに海外旅行に行ったり愉快に世界を巡っています。現在はベトナムに留学し、充実した大学生活を送っています。


 世間一般では、

  • 卒業しても何のメリットもない低偏差値大学・日東駒専だとか、Fランク大学だったら行かないほうがマシ
  • 一流大学に行かれなければ、ブラック企業で社畜になるしかない


などということが、まことしやかにいわれています。


本当なのでしょうか?


教育熱心な親たちは、我が子に「お受験」させたり、中学受験をさせるために、高額な塾に通わせています。一流大学卒業者だと知った途端、「あの人はW大卒だから、K大卒だからやっぱり頭いいわよね」といって、人を見る目が変わってしまったり…。

一方、Fランク大学、日東駒専出身の人たちは、能力はあるのに、自分自身で勝手に限界を作って、能力を出し切っていない姿を多数、見てきました。仕事はできるのに、たまたまうまく行かないときは、「俺、頭よくないからなー」なんていって、自分を貶めてみたり…。本当にもったいないことです。

この文章では、有名大学を目指したけれど、健闘むなしく、日東駒専、Fランク大学といわれる学校に入学が決まった人、学歴コンプレックスを持ち続けている人たちが、勇気と誇りを取り戻し、人生を味わい尽くすための方法論を、実例を見ながら検証していきます。

僕は日東駒専出身ですけど、何か?


もともと僕は、小学校の先生になりたくて、高校3年の時は、教育学部小学校教員養成課程のある大学を2つ受験しましたが、不合格でした。

単純に学力不足です。

一年浪人して、予備校に通いました。浪人生になると、嫌でも自分自身と向き合うことになります。自分自身を振り返り、「俺って教師という職業に向いているのかな?」と疑問に思いました。

単に小学校時代が楽しかったこと、おじ(母の兄)が小学校の教頭をやっていた関係で、親戚から、「あんたは小学校の先生に向いている」と、暗示をかけられていたせいもあります。

でも、人生経験が少なかったので、子どもたちを教えることに、不安がありました。人を教え導くよりも、もっと基本の部分でもある「きちんと本が読めるようになりたい」と思ったのです。高校時代に読書の楽しさに目覚めた僕は、岩波文庫などの難解な書籍が理解できなかったので、基礎知識をつけ、読書に励み、きちんと教養を身に着けたい、と考えたのです。今でこそ、青臭い理想論だな、と思いますが、当時は真剣でした。


※世の中の森羅万象はとても大学4年間だけでは理解できません。一生かけても無理でしょう。生涯に渡って、本を読み、思考し、ときには教えを請い、自問自答していくしかない、一生勉強なのだと、50歳の僕は考えています。

浪人生の1年間は、本当に一生懸命やりました。予備校に誰よりも早く行きました。英作文の授業の前には、自分の英作文を板書しておきました。板書しておくと、先生が僕の英作文をたたき台にして、講義をしてくれるのです。赤いチョークでいっぱい直されました。恥ずかしかったけど、1年間継続しました。

また、英作文を板書し終えた後は、予備校の漢字テキストをひたすら書きまくりました。おかげで、わからない漢字はなくなり、国語は偏差値70超えをすることもたびたびありました。

漢文の先生とは個人的に親しくなり、中華料理屋で餃子とビールをご馳走になって、人生論や漢詩の楽しさをマンツーマンで教えていただきました。とても充実した予備校時代を過ごせたと思います。
そんな日々を過ごしているうちに、いよいよ、大学受験シーズンがやってきました。

学部は、文学部です。本がきちんと読めるようになりたかったから、日本文学専攻です。当時は国文学科と呼ばれていました。


二浪はしたくなかったので、A判定の大学も受験しました。いわゆるFランクといわれる大学ですね。健闘の甲斐があって、Fランク大学、日東駒専にはなんとか合格することができました。

第一志望校は明治大学文学部でした。当日の試験もそれなりに手応えを感じましたが、結果は不合格でした。くやしかったけれど、とりあえず浪人生から脱出し、大学生になることができたことがうれしかったです。

こうして、日東駒専と言われる中堅大学に入学しました。しかも、就職に不利、といわれる文学部です。親からは心配されましたが、「なんとかなるよ、俺がやりたい勉強をやらせてほしい」と納得してもらいました。

充実した大学生活

大学生活は、目一杯、楽しみました。本当に充実した4年間でした。大学では、サイクリング部に入部し、北は北海道、南は九州まで、自転車で野宿をしながら仲間たちと走りました。

日本の美しい自然をこの目に焼き付けました。1年生の時、信州を走りまくり、上高地から見た穂高の山の美しさは今も忘れられません。山が自分に覆いかぶさってくるような迫力。そして、山の神様が住んでいるのではないかと思えるくらい神々しい山陵。その後、結婚し、家族を連れて上高地から何度も穂高を見上げましたが、19歳のと時の感動はありませんでした。20歳前後という、感性のみずみずしい時代だったから見えた光景だったのではないでしょうか。

大学時代に出会った、サイクリングの仲間とは30年経った今も、深い交流があります。この仲間と出会うためには、日東駒専で大正解でした。

大学の授業はときどき眠ってしまったけれど、現在、出版関係(大手書店)の仕事に就いたので、文学の知識はそのまま社会人になっても大いに役立っています。

また、サイクリングと同時並行ではじめた極真カラテは、卒業時に10人組手と言われる荒行で、人間サンドバッグになりながらも、黒帯を取得し、人生のバックボーンになるくらいの自信と勇気と体力を手に入れることができました。もともと華奢でしたが、ウェイトトレーニングをガンガンやって、プロティンを飲みまくり、筋肉を10キロ増量。その後も、空手は修行を続け、20人組手を経て二段となり、指導員にまで上り詰めます。

空手の師匠、先輩、仲間たちとの出会いは、その後の人生に大きな影響と自信を与えてくれました。日東駒専での大学生活は、たくさんの経験と知識を僕に与えてくれました。

就職活動で日東駒専文学部の仲間たちは大健闘

一流大学でもない僕たち日東駒専大学。しかも、就職に不利、といわれていた文学部。仲間たちの就職先は、

  • 大手TV局
  • 大手銀行
  • 地方公務員
  • 小学校教師
  • 中学校教師
  • 高校教師

など、多岐に渡ります。バブル崩壊直後だったとはいえ、仲間たちは文学部出身という不利な肩書をものともせず、希望の職種で働き始めました。文学部は就職に苦労する、といった都市伝説は、いったい何だったのでしょう?

特定の一流企業に入るのは難しいという意味だったのでしょうか?

30年経過後の、仲間たちの現在

今年、2学年上のサイクリングの先輩が脳腫瘍で闘病の末、亡くなりました。声を上げて泣きました。声をあげて泣いたのは、小学校低学年以来で、自分でもびっくりしました。本当に優しい兄貴みたいな先輩だったんです。

さて、先輩の納骨式の時、大学の先輩、同輩たちにこんなインタビューしてみたんです。

「日東駒専という中堅大学卒で、その後の昇進や人間関係に影響がありましたか?」と。

5人くらいに聞きましたが、全員「No」でした。
いずれも、凸版印刷、三越、そごう、大手ゼネコンに就職した先輩、仲間たちです。

「新入社員の時くらいかな?同期の間で、お前どこの大学だったっけ?って話をしたのは」

いずれも、出身大学は全く関係ないよな、との回答でした。日東駒専でも、有名大学卒業組とは、全く関係がないのが実情のようです。

自分の会社の状況 東京大学、早稲田大学、慶応大学卒の部下たちと仕事してます


「じゃあ、お前はどうなんだよ?」という声も聞こえてきそうなので、僕自身の話もしておきます。

僕は某大手書店に勤務しています。僕は8人のチームのリーダーですが、部下には、国立大学卒はもちろん、東京大学卒、早稲田大学、慶応大学卒の子もいます。


みんな事務処理能力は高いですが、経験年数が仕事のクオリティにそのままでています。つまり、25歳の子は3年の経験値、10年働いている子は10年分の経験があるので、10年働いている子の仕事のクオリティが圧倒的に高いです。出身大学のレベルと、仕事のクオリティは別物です。

僕は、同期に早稲田大学卒、中央大学法学部卒の仲間がいますが、昇進のスピードはほぼ同じです。むしろ、僕は人前でプレゼンしたり、交渉するのが上手なので、同期の中では、少しだけ昇進が早かったほどです。


偏見ではなく、たまたまなのだと思いますが、東京大学卒の2人は、心の病気を抱えていて、時々、長期の病気休暇を取得します。その間、人を増やしてくれるわけではないので、人員不足のまま、プロジェクトを進めますが、正直、しんどいです。「頭はよくなくてもいいので、普通に毎日、出勤して、定量の仕事をしてくれる子のほうがよほどマシだよな」、というのが、偽らざる上司の本音です。

一流大学卒業者の特徴

東京大学卒は置いておいて、早稲田大学など、一流大学卒業の仲間たちをみて感じること。それは、中堅大学卒業の人たちと、能力的にはさほど差はないということ。


「早稲田大学を出たI君は、高校時代、さぞかし勉強ができたんだろうね?」と質問してみると、そんなことはなくて、たまたま通った予備校の先生が、伝説的な先生で、予習復習はしなくていい、授業だけを集中して聴け、それだけで合格させてやる、と豪語する先生だったそうです。すると本当に英語ができるようになり、合格できたとのこと。その伝説的な英語の先生に出会わなければ、早稲田になんか行けませんでした、といっていました。


やはり早稲田大学文学部を出たキャピキャピしたTさんは、語呂合わせで暗記するのが大好きで、暗記が得意だったそうです。妄想するのが大好きで、語呂合わせを考えるのが楽しくて楽しくて仕方がなかったそうです。事務処理能力は高いのですが、恥ずかしがり屋で、ちょっとコミュニケーション能力を高めてほしい女性です。


慶応大学出身のK君は、ちょっとかなわない感じの頭の良さです。もともと東京大学を狙っていたが慶応大学しか受からなかったというK君は、マルチ人間。物知りで、海外旅行が大好きで、行動力があって、多趣味で、仕事が早い。プライドが高く、自分にできないものはない(やればなんでもできる)という確固たる自信があるようで、何でも短期間でマスターしてしまうのがすごい。いわゆる「地頭がいい」タイプなんでしょうね。


慶応大学出身のK君タイプには、凡人は、かないませんが、早稲田大学のI君、Tさんとだったら、日東駒専、Fランクといったレベルでも仕事をする上では、十分、太刀打ちできるはずです。

出身大学は、英検、TOEICの資格、肩書みたいなもの。あなたの能力のごくごく一部に過ぎない

「TOEIC920点、英検1級を持ってます」と自己紹介されたら、「すげーなー」と思います。でも、TOEIC920点を取っているから、仕事も人生も恋愛も結婚も交友関係もすべてうまくいっているわけではないですよね。「たまたま英語ができたんですね、すごいですね」ってだけの話です。

出身大学だって、同じようなものだと思います。「早稲田大学ですか?すごいですね、暗記が得意だったんですね」と思うだけでいいのです。それなのに、出身大学が東大、慶応大、上智大、青山学院大学だったりすると、「仕事も収入も恋愛も結婚もうまくいって、人生バラ色なんだろうなぁ」、なんて勘違いをしてしまうことがあります。そんなわけないですよね。

僕の知っている早稲田大学法学部を出たI君はアラフォーですけど、結婚してないし、趣味もないみたいで、いつも暇そうです。先日、向き合って話をしていたら、鼻毛が10本くらい、ボッっと出ていて、「もっと身だしなみちゃんとしろよー」と思いましたが。

慶応大学商学部出身のF君もアラフォーですが、突然、会社をやめて作家を目指しています。かなりプー太郎に近いです。

早稲田大学を出て仕事をバリバリこなして社長の側近にいるO君は美人の奥さんと結婚し、二人のお嬢さんに恵まれ、お嬢さんは京都大学に進学しました。そういう人ももちろんいます。

でも、一流大学を出た人がみんな幸せな人生を送っているかと言うとそうでもないです。人生いろいろです。

確かに一流大学に合格するだけの戦略と戦術があれば、他のジャンルで応用し、成果を挙げることは可能でしょう。それは、英検、TOEICも同様です。英語力を身につける戦略と戦術は、仕事や実人生でも活かせるでしょう。

なので、一流大学出身者は、受験勉強、暗記が得意なのは間違いありません。でも、暗記が得意なのと、人生を幸せに生きることはイコールではないのです。

サラリーマンになるなら、日東駒専、Fランクでもいい。大学は卒業しておけ!

僕の会社は、出身大学で差別はありませんが、大卒、高卒では、昇進のスピードが全然違います。大学卒は昇進が早いし、高卒は昇進が遅い。大学卒は、どこまでもいけますが、高卒は、課長代理止まりです。友人に話をきくと、多くの会社(大手、中堅も含めて)同様だそうです。


例えば、僕の会社では、高卒はどんなに仕事ができても、みんなに好かれていても、課長以上にはなれません。今後、日本の会社はどのように変化していくかはわかりませんが、現状では、大学名は問われないが、大卒と高卒は、大きな差が出ることだけは、はっきりしています。
なので、サラリーマンになりたいのなら、日東駒専、Fランクでもいいので大学は出ておいたほうがいいです。

Fランク大学の仲間たちの30年後の姿

健闘むなしく、Fランク大学に入学した仲間たちが多数います。


30年経過した彼らの現在は…

  • 警視庁
  • 中学校教師
  • 地方銀行職員
  • 大手銀行職員
  • 大手バス会社

などに勤務して幸せな家庭を築いています。出身大学は関係ないです。
卒業しても何のメリットもない低偏差値大学なんて、マスコミからは、からかわれたりしますが、衣食住に困らず、結婚して、子どもを授かり、家を買って、毎日楽しければ、幸せ過ぎる、と思うのですが。

大学院、博士号を取得した人たちは今?

中学、高校時代の友人の中には、大学院を出て修士号、博士号を取得した猛者もいます。彼らは、幸せなのか?というと、なかなか一筋縄ではいかないようです。


研究者として、大学や研究所に勤められれば良いけれど、なかなか人間関係のコネクションなど、大変な面も多いらしく、思うような職業につけていないのが現状です。

長女は、大学でベトナム語を専攻しています。ベトナム語の独身アラフォー日本人女性講師は、東京外国語大学のベトナム語学科を出ていますが、今もアルバイト講師を掛け持ちして、ビンボー生活を送っているようです。

有名国立大学の大学院で英文学の博士号を取得した友人は、現在、某工業大学の教授。彼などは、かなりの成功者といえそうですが、毎日、仕事量が多く、大変そうです。

東京工業大学、大学院を出た研究者の友人は、現在、ニューヨーク在住。研究を続けていますが、期間限定の研究員なので、論文などの成果が上げられなければ、そのままクビです。東工大、東工大大学院を出ても、ビンボーな研究者はたくさんいるのです。

友人O君は、有名国立大学大学院で生物学の博士号を取得し、研究所を期間採用で転々としましたが、結局、研究者としては大成できず、外資系医療機器メーカーに勤務しました。その後、業績が出せなくて、突然の解雇宣告。すぐに次の仕事が見つかりましたが、世界各国への出張は大変そう。世界を股にかけるビジネスマン、というとカッコイイけれど、本人曰く「疲れるだけ」と。外資系ビジネスマンも、大変なのです。

娘はFランク大学に進学しましたが…

今年、大学2年生になった長女は、昨年、Fランク大学に現役で進学しました。
第一志望校は明治大学でしたが、健闘むなしく、玉砕しました。
日東駒専レベルも落ちたときは、僕もがっかりしました。


長女は、散々泣きました。「浪人しもていいよ」と僕も妻もいいましたが、本人は、「Fランク大学に行く、もう受験勉強はやりたくない」といいました。本人が納得したので、浪人はせず、Fランク大学に行くことに決めました。

冷静な目で見て、長女はGMARCHレベルの大学に行くのは無理だったでしょう。模試も、合格圏内にはなかったし、日東駒専レベルに引っかかってくれれば、と希望を最後まで持ちましたが、やはり無理でした。

Fランク大学の入学式、オリエンテーションに出てびっくり仰天

長女が合格したのは、センター入試でした。なので、入学が決まったFランク大学には行ったこともありませんでした。
学部も「何を勉強するのやら?」とよくわからない学部名でした。
さて、入学式を終え、学部オリエンテーションから長女が帰宅するなり、号泣しました。その理由は、次の3つです。

  • 第二外国語で中国語を希望したら、抽選にはずれてベトナム語になった
  • 第二外国語の語学の国に半年間留学するのが必修
  • 半年間の語学留学のために、成人式に出られない

そこで、

1 ベトナムはこれから発展するチャンスに溢れた国

2 留学できるのはいい人生を変えるいい機会

3 成人式の着物を20万円で購入してしまったが、事前撮影はできる


長女も、気持ちを切り替えることができたようです。

ベトナムはビジネスチャンスに溢れた国

ベトナムはこれまで注目をしたことが一度もなかったけれど、日本との関係もよいし、これから爆発的に経済発展する国なので、これはチャンスかも。しかも、ベトナム語ができる日本人はこれから重宝されるはず。
これまでベトナムなんて意識したことがなかったけれど、これを機会にい父親である僕もベトナム語を学ぶことを決意。翌日、グーグル検索をして、Skypeでベトナム語を学べるオンライン講座に入会し、ベトナム語を学び始めました。

ベトナムは予想以上にユニークな国

ベトナム語を学び始めて、ベトナム関連のニュースが、自然と目に飛び込んでくるようになりました。また、ベトナム関連の本を意識して読むようになりました。僕の脳内に「ベトナム」だとか「ベトナム語」「ハノイ」「ホー・チ・ミン」などのキーワードが引っかかるようになったのです。すると、すると、面白いことがいろいろわかってきたのです。

ベトナム語は日本語に似ていた驚きの事実

ベトナムも日本も、中国から漢字が伝わってきた経緯があります。日本語と現代中国語って、同じ感じを使っていても、読み方が違います。その理由は、日本に伝わっている漢字の読みは、隋、唐時代の読み方なんですって。中国からみれば、日本は辺境ですから、読み方が伝播する頃には、本場中国での漢字の読み方は変化しています。こうして、現代中国語と日本の漢字の読み方には差異があるのです。これは、ベトナムも同様で、ベトナム語には、日本語と同じ言葉がたくさんあります。

愛国 あいこく ái quốc(アイクオック)悪意 あくい ác ý(アックイー)改革 かいかく cải cách(カイカック)記念 きねん kỷ niệm(キーニエム)衣服 いふく y phục(イーフック)
などなど。
ベトナムも日本同様、中国からしたら、辺境ですからね。

アメリカにこてんぱんにやられた日本、アメリカをこてんぱんに叩きのめしたベトナム

日本は太平洋戦争でアメリカに大敗しますが、ベトナムはアメリカが自信喪失してしまうくらいに、叩きのめします。日本が勝てなかったアメリカを自信喪失させるくらいにこてんぱんに叩きのめしたベトナム人。その秘密が知りたい。
ベトナム人は、勤勉だといいます。シャイなところも日本人に似ているといいます。知れば知るほど、ベトナムを詳しく知りたくなりました。

ベトナム語は、それほど難しくない。日本人向きの言語

ベトナム語と日本語は似ている話を書きましたが、日本人にとって勉強しやすい言語だと思います。文法は英語よりもカンタンです。日本人にはぜひぜひ学んでもらいたい楽しい言語です。


ベトナム語とベトナム人への感心が高まった僕は、これからライフワークとしてベトナム、ベトナム語に関わっていきたいです。
このようなチャンスを与えてくれた、Fランク大学には感謝の気持ちでいっぱいです。

バラ色のFランク大学の生活

長女の大学生活は実に楽しそうです。
Fランク大学って、第一志望校ではない子が多数のせいか、生徒の面倒見がめちゃめちゃいいです。

教授と学生の距離が近く、教授からよく声をかけてもらったり、指導を丁寧にしてもらっています。長女は、進学校に通っていていましたが、部活動や遊びに夢中になっていて、高校時代は赤点を2度取り、落第にリーチがかかり、三者面談を二度経験しました。

また、ある教科の先生とウマが合わず、しょっちゅう泣きべそをかくまで怒られて、自主退学を真剣に考えたこともあったほどです。
なので、長女の成績は中の下。はっきりいって落ちこぼれでしたので、高校の先生から、温かい言葉をかけてもらったことがありません。


ところが、大学に入って、少し真面目に勉強したら、優等生になってしまいました。教授たちからは褒められ、可愛がられていて、すっかり気分を良くした長女は、勉強の楽しさに目覚めたようです。これもFランク大学ゆえの、隠されたメリットでしょう。少し頑張れば、教授たちからかわいがってもらえる。

成績がいいので、今回のベトナム留学では返済不要の奨学金が月額8万円支給されることがきまりました。本当にありがたいことです。物価の安いベトナムで月額8万円が支給されたら、贅沢をしない限り、楽しく、不自由することなく留学生活が送れることでしょう。

これが、一流大学だったら、相当、勉強を頑張らないと、奨学金をもらうことなんて不可能だったでしょう。そして、勉強嫌いの長女が、率先して大学の授業を最前列で聴く。高校時代からは考えられないことです。

そして、今は、ベトナムに7ヶ月の留学中です。大学では学園祭実行委員で、学園祭を切り盛りし、先輩、同輩、後輩と楽しくワイワイとやっています。このような学びの場とチャンスを与えてくれたFランク大学には感謝の気持ちでいっぱいです。

Fランク大学の就職先を見てみると…?

先日、長女の大学の父母会に参加してきました。一流ホテルを借り切って、大学の様子、カリキュラム、注意事項、個人面談が実施されました。個人面談後は、立食パーティーでした。もちろん無料です。


就職支援センターからのレクチャーがあり、卒業生の就職先を教えてもらいました。様々なジャンルの一部上場企業にバンバン就職していました。
もちろん、ベンチャー企業や中小企業への就職もあります。
中には、Fランク大学で勉強の楽しさに目覚め、京都大学大学院に進学を決めた女子もいました。人生いろいろ、就職先、進学先もいろいろです。


こういう現実を見せられると、

  • 卒業しても何のメリットもない低偏差値大学・日東駒専だとか、Fランク大学だったら行かないほうがマシ
  • 一流大学に行かれなければ、ブラック企業で社畜になるしかない

というのは、都市伝説か、デマでしかない、と思います。

出身大学が重要な職種はごく一部

東大教授だとか、省庁のキャリア組になるには、日東駒専、Fランク大学卒はかなり厳しいでしょう。日商岩井とか三菱商事とかの総合商社、電通などの一流広告代理店、マッキンゼー・アンド・カンパニーなどの外資系経営コンサル会社も難しいでしょうが、世の中には、他にも仕事なんて、たくさんありますから、気にしなくていいんじゃないでしょうか。


この他、大学受験関連の職種は、出身大学が大事でしょう。
長女が通っていた東進ハイスクールでは、大学生アルバイトの担任がついていたけれど、いずれもGMARCH以上の大学生でした。


やはり、高校生たちから憧れの存在である必要があるし、早稲田大学に通う担任のアドバイスは説得力があるけれど、もしFランク大学の担任から「英語は単語の暗記がキモだよ」とアドバイスされても、高校生は「Fランクが偉そうにいうな。じゃあどうしてお前はFランク大学しか行かれなかったんだよ」と、ツッコミを入れられるのがオチでしょう。
同じアドバイスをしても、説得力に雲泥の差が出てしまうのは、大学受験を商売にしている業種では、仕方がないことだと思います。

日東駒専、Fランク大学出身者よ、頭がよくないというレッテルを自分に貼るな

「日東駒専、Fランク大学出身者よ、自分の可能性や能力に限界を作るな」、と僕は声を大にして、いいたい。


「俺、中堅大学レベルの頭だから…」「四流大学で、私は頭が悪い」
とか、変なレッテルを自分に貼る必要はないってことです。
自分が持っている無限のパワー、無限の能力に、限界を作っては絶対ダメです。キャリア官僚、大学教授にはなれないけど、それがどーした?

日東駒専、Fランク大学出身だと、キャリア官僚や東京大学の教授になるのは難しいでしょう。でも、だからどうなんですか?


キャリア官僚になれなくても、県庁職員、市役所の職員には、楽勝でなれるはず。


県、市といった地方行政に関わり、政策を立案、実行し、人々を幸せにすることは、日東駒専、Fランク大学出身者だってやっています(僕の友人に何人かいます)。

俺は頭が悪いから、英語なんてしゃべれない?

例えば、英語や語学などは、学歴なんて関係ありませんよね。
知り合いで、高卒なのに、突然、英語に目覚めて猛勉強、英検1級、TOEIC900点を取得するまでに成長し、今は、ビジネスマンに英語を教えている友人がいます。


高卒ですよ。

高卒が、一流大学出身のビジネスマンにビジネス英語を教えている。そういうことだって十分ありうるんです。社会人になってからだって、ガンガン語学を勉強して、英語、中国語ぐらい喋らるようになりましょうよ。


僕は、英語、中国語に加えて、ベトナム語も現在勉強していて、旅行するには困らないレベルの語学力はつきました。そのためには、朝、出勤前、昼休み、帰宅後、スキマ時間に語学の練習は不可欠。少しずつでも上達していることがわかると、毎日が楽しい。中国語をしゃべる僕に、慶応ボーイが尊敬のまなざし

先日、合気道の道場に、日本語がしゃべれない中国人が北京からやってきて一緒に稽古をしました。僕は、大学の第二外国語で中国語を学び、社会人になってからも中国人から2年間、中国語を学び、さらに、10日間の清華大学での語学研修も経験しているので、片言の中国語が喋れるのです。


中国人と、中国語で話をしたら、中国人はものすごく喜んでくれました。そして、僕と中国人が楽しく話す様子を慶應義塾中等部に通う医者の息子(道場生)が見ていて、「すごいですね、僕も、古川さんみたいに語学が堪能な人になりたい」といわれてビビりました。「いやいや、君みたいな慶応ボーイは、すぐに語学なんてマスターできるよ」と、いってあげました(笑)。

結局、気になるのは他人の目。でも他人はあなたのことをちっとも気にしていない

さすがにアラフィフともなると、出身大学を聞かれることはほとんどありません。聞かれれば答えますけど、自分から出身大学をいうことはないし、聞かれても、多少、心の中で躊躇はします。でも、今ではどうでもいいと思っています。

まとめ 日東駒専、Fラン大学出身者よ、大志を抱け!

一流大学を出ていなくても、教養は高めることができるし、語学だってマスターできるし、欲しいものは何だって手に入れることができるのです。なので、僕は声を大にしていいたい。

日東駒専、Fランクレベルの大学出身者よ、奮起せよ!僕たちは能力がないんじゃない。たまたま大学受験では成果を出せなかっただけ。

ただ、これから受験を迎える受験生には、もちろん一流大学、少しでもレベルの高い大学を目指してほしい。行けるものなら、優秀な大学に行ったほうがいい、ことも申し添えておきます。

別に日東駒専、Fランク大学への進学を勧めているのではなく、奮闘の結果、合格できなかったとしても、自信を失う必要なんてないんだよ、自分の能力に限界を作っちゃいけないよってことが言いたいんです。

努力は決して裏切らない。自信と誇りだけは失うな。
頑張ろう、日東駒専、Fランクレベルの大学生、そして出身者たち!

日本の社会を支えているのは、間違いなく、日東駒専、Fランク大学出身者なのだから。